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父さんの会社倒産!うちの家族~父編~の件

ども、モヒモヒです。

昨夜はやっぱり、 ごはん出てきた。

ゆらさんは何だかんだ言っても優しい。

そんなゆさんは今日は仕事で朝からお出かけ中。

おいらは、洗物を終わらせWebサイトの更新やら細々とした作業中。

さて、今回は、うちの家族の話をしようと思う。

家族構成は、父、母、兄、俺の4人家族。

小学校3年位までは、親父が秋葉原で電気部品関係の会社を経営していたので、結構裕福な家庭に育つ。

しかし、小学校3年の時、倒産した。

あれは、小学3年の夏休み。

いつもは、いないはずの父がずっと家にいた。

父は海外との交渉などで、よく、韓国、中国、アメリカ、ロシア、ドイツなどへ出張していたのでまるまる一ヶ月家に帰って来ない時もあったので家にいるのはおかしいと思い、何で家にいるの?と聞いた事がある


父は夏休み☆と陽気に答えた。

夏休みが終わる頃、父は求人広告を眺める日々が多くなった。

そして9月に入ると、家族会議があり、倒産した事、タクシーの運転手をやる事が説明された。

うちでは、当時、幼い頃から、父・母をパパ・ママと呼ぶのが習慣だったので、小さい頃はパパ!と普通に呼んでいた。

学校の父兄参観などの時は、お父さんと言い換えるのが結構慣れなかった。
男兄弟二人なのに、パパ・ママと呼ぶ俺を見て友達は不思議に思っただろうが、幼い頃から呼んでいるので【お父さん】と呼ぶほうが違和感があった。

タクシー会社に再就職したパパは2日に一度家に帰ってくる。

当時は借金などで相当貧乏だったらしく、いろいろと家庭に影響が出た。

簡単な話で言うと、まず、夕食のおかずが少なくなり、ごはんと味噌汁、白菜の漬物だけという日も少なくなかった。
俺は、白菜の漬物をごはんに巻いて食べるのが好きだったのでまったく貧乏だという思いはしなかったし、誕生日などは、普通にお祝いもしてもらっていた。

しかし、家のタンスに裁判所からの赤い札(差し押さえのシール)が貼ってあった事から相当な貧乏だったのだろう。

成人してから聞いたが、倒産の時は相当ヤバかったらしく、毎日電話がかかってきて母はノイローゼにかかりそうになったと聞いた。
家と土地は、おじいちゃんと共同で購入したので、取られなかったし、パパは嘘はつかず、誠意を持って対応したので、なんとか少しづつでも払い続け、差し押さえを間逃れたらしい。
ある時は、ヤクザの親分から呼び出され2日位監禁されたらしいが、誠意を持って話あったので、その男義に親分が納得し解放された事もあった。

父の性格は力が強く、温厚で物静かだが、物知りで何でもできる。
何を聞いても、答えを返してくれるし、家の修理などもプロ級だった。
とにかく何でも知っているしできる人だ。

そのおかげで今俺も水道工事や簡単な配線、法律関係など知りたいと思った事はすぐ調べいろいろな知識を仕入れている。

そんな親父から俺は殴られた事は無い。
どんなに悪い事をしても殴らなかった。
兄は昔一度殴られたみたい。
家に生えてるヤシの木みたいな木に火をつけて近所の人が消してくれたらしい。幸いボヤですんだが、その時は、兄が父に殴られ居間から、
障子を突き破り庭へとすっとんで行ったらしい。
その時親父は、あっ死んだ、やりすぎた!と思ったらしいが、兄は怪我もなく今も元気にしている。

パパから親父と呼び名が変わったのは、たしか中学1年になった時。

小学校の頃から懸垂ができず、毎日のように父から、家の鴨居で懸垂が出来たら1万あげると言われていた。
俺は、中学に入り柔道をはじめ筋肉がつき、中1の6月頃、やっとその鴨居で懸垂をして1万円貰った事がある。
その時、俺の中で親父を倒せるんじゃないか?と思ったのがキッカケ。
親父は体がごつく筋トレもしていたが、なぜか俺はそう思った。

ある日、親父が、女だらけの水泳大会を見ていたが俺はアニメかなんかを見たくチャンネルを変えた。
その時、親父がなぜか頑なに拒否し、そのままケンカのような状態になった。

俺は親父に柔道の押さえ込みを仕掛けるが、親父はなんなくかわす。
激しい攻防の末、俺の袈裟固めが決まり親父がタップ。

その後、なぜか2人で笑っていたが、それが俺にとって【親父超え】の儀式だった。
その日以降、俺はパパと言わなくなり、親父と呼んだ。
親父も、息子が力をつけたと思ったのか、あまり俺に干渉しなくなった(宿題やれとか鍛えろとか言わなくなった)。

俺が高校になると、親父はタクシー運転手からハイヤーの運転手になり収入もあがった。

そして、俺が成人式を迎える頃に親父は全ての借金を返済した。

毎日愚痴も言わずきっちり仕事をして俺を育ててくれた。

63になり還暦を過ぎた親父は退職せず、65までがんばるらしい。

今は、兄の娘(孫4歳)のところへ行くのが相当嬉しいらしい。

見た目はちょっと怖く、物静かというイメージの親父が孫の前では、
デレデレになる。

孫も親父がお気に入りらしく、いつも仲良く遊んでいる。

あんなにデレデレな親父を見るのは初めてだったのでなんだか不思議。

親父は、長崎から中学の時に上京し、酒屋へ丁稚奉公し、そのあと21歳で独立し会社を興した。
母とは、22歳で結婚しすぐ、家を購入した。

子宝に恵まれなかったが、親父が30歳の時、兄が生まれ、その2年後俺が生まれた。

最近、親父の人生って楽しかったのかな?とふと思う。

こないだ、ずっと働いていて、楽しい?

と親父に聞くと、たしかに借金生活はつらかったが、家族ができたから満足と答えた。

そういうもんなのかなぁ。。。

最近、親父は自分の弱いところを結構見せる。

昔は朝5時くらいに起きてまじめに仕事に向かっていて、よく寝坊する俺は単純にすげーと尊敬していた。
しかし、母に聞くと、昔は相当な寝坊助で朝起きれない人だった事が判明。しかも仕事いきたくないー。とよくダダをこねていたらしい。

兄と俺が生まれ、マズイと思ったのかそういう事は言わなくなったという。

しかしこの前実家に泊まりに行った時、会社行きたくなーい。眠い!
などグチりながら出勤していた。

休みの日は母とデートするか孫と遊ぶかゴルフへいくか釣りをするかの毎日という。

まだまだ、年金の事を考えて65才まで働くつもりらしいが、体だけは壊さないようにと思う。

最近、孫と一緒に遊んでいる、ほのぼのとした親父を見るとなんだか暖かい気持ちになる。

ふと親父の事を思い出し今日は親父の事を書いた。

親父には親父の人生があり、俺には俺の人生があるが、
親父の人生楽しかったのかな?
本人が満足ならそれで良い。
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